父母と教師に役立つ学級懇談会の話材集    2015・2・23記




 
よいしつけ方、ダメなしつけ方




          
昔のしつけ方法



≪お手伝いで仕事を覚えた≫


 昔の母親は多忙でした。今のように電化された台所製品がありませんでし
たから、母親の家事労働は大変なものでした。ですから、子ども達は家事を
手伝わざると得ませんでした。昔は、生活が貧しく、不便でしたから、子ど
もが手伝う内容もたくさんありました。子守り、米とぎ、めしたき、水くみ、
ふろたき、たきぎ拾い、まき割り、戸締り、雑巾がけ、茶碗あらい、庭掃除、
買い物、家畜の世話、せんたく、それに親と一緒に田や畑の仕事など生産労
働の手伝いもしなければなりませんでした。家族の一人一人が何らかの役割
を分担を持っており、家族全員で協力し合わなければ家庭生活を維持してい
くことができませんでした。
 昔の子ども達は、自分の役割分担を持っており、せっせと家事の手伝いに
励まざるを得ませんでした。友だちと楽しく遊んでいる最中でも、自分のや
る仕事が決まっていたので、自分が受け持っている手伝いがあると、時間が
くると急いで家に帰ってその仕事をしました。自分の仕事をなまけると、家
族の誰かが自分の仕事の分までやらなければならなくなります。あとでこっ
ぴどく叱られます。それで、子どもは自分の受け持つ仕事を果たすために急
いで家に帰りました。
 こうして昔の子どもはさまざまな手伝いをすることで家族の一員としての
自覚と責任と自己存在感、働く喜び、仕事の習熟、遊びたい心を抑える忍耐
力、時間の計画的な使用などを身につけていきました。
 昔の子どもは、親の仕事を手伝いながら、仕事のやり方を覚え、上達して
いきました。子守りを手伝いながら、赤ちゃんのあやし方、寝かしつけ方、
ミルクの与え方、おしめの替え方を覚えました。漬物の手伝いをしながら、
野菜の洗い方、塩のふり方、塩加減、おもし石ののせ方を覚えました。めし
たきを手伝いながら、米のとぎ方、水加減、かまどの燃やしつけ方、おこげ
を作らない火の落とし方を覚えました。田や畑の仕事を手伝いながら、耕し
方、タネの蒔き方、肥料のやり方、収穫のしかたを覚えていきました。


≪道具を大切にするしつけをした≫

 仕事で使う道具を大切にすることも学びました。道具の上手な使い方のコ
ツ、手入れのしかた、仕事場の後片付け方、道具のしまい方などを学びまし
た。「名工はその器をよくす」という格言があります。昔は、職人に限らず、
一般人も、仕事で使う道具を大切に扱うにはどうするかに気を使ったもので
す。道具がよく手入れ、整頓されてなければ、次の仕事がうまくいきません。
昔は、道具の扱い方、手入れは大変に重要視され、今のように使い捨て、ワ
ンタッチ・ポンと捨てる時代ではありませんでした。今は余りにも物を粗末
にし、使える物も捨てています。昔は、道具を道具を大切にするしつけが、
よき仕事人を育成することであり、それがよき人格者を育成することにつな
がっていました。


≪昔は子どもの人数が多かった≫

 昔は、現在のように電化製品も少なく生活が不便でしたから、母親の家事
労働は多忙でした。洗濯にしても、洗濯板の上に洗濯物をのせて、手でゴシ
ゴシとこすって洗ったのです。井戸から水をくみ上げ、それを風呂おけに手
おけで一杯ずつ入れて、たき木を拾い、まきを割って、それを燃やして風呂
をわかしました。
 昔は、子供の人数が多く、家事労働も多くありましたので、手伝う仕事が
ないということはありませんでした。母親は育児と家事と田畑の仕事に追わ
れて多忙でした。母親は一人一人の子どもに細かいところまでかまってやれ
ません。だから、子どもは自分で判断して行動していくほかありませんでし
た。自分のことは自分でさっさとしなければなりません。こうして子どもた
ちはひとりでに自立心が養われる育てられ方をしていました。


≪今の歩行機という遊具≫

 今の母親は、幼児が転びそうになると、直ぐにつかまえてしまします。最
近、学校の運動場で異常な転び方をする子どもが増えていると教師たちの話
題になります。転ぶ時に手が出ないのです。顔面から先に落ちて、顔に裂傷
を負ったり、永久歯を折ったりする子どもが増えています。
 昔の子どもは、生後はいはいして立ち歩きだす時、何回も転びながらも、
立って歩く練習をして、転び方に慣らされる育てられ方をしていました。だ
から、上手な転び方に慣れていました。
 今の赤ちゃんは、立ち歩きの練習は、歩行機という遊具でやるのが普通で
す。歩行機は、転び方を覚えさせません。だから、小・中学生になっても転
び方が下手で、転ぶと顔面をまともにぶつけてしまうのです。
 昔の子どもは、小学校中学年にもなると家庭内の仕事を一通りできるよう
になっていました。親が留守であっても、親から「これをやっていなさい」
と言われると、やり方を教わらなくても、炊事、戸締り、後片付けなどの家
事を要領よくこなしていました。小学校中学年になると、子守りをする時、
赤ちゃんのあやし方、泣きやませ方も、おしめの取り替え方と洗濯のしかた
なども、しっかりとできました。掃除も、まき割りも、めしたきも、風呂わ
かしも、草刈りも、家畜の世話も、家事手伝いは一人前にできました。


≪かわいい子には旅をさせよ≫

 昔の親は「かわいい子には旅をさせよ」と言いました。昔の親のしつけで
最も重要視されたことは自立心を育てることです。両親が夭折したとしても
立派に食いはぐれのない人間に育てる指導です。突き放して、立派に一人立
ちできる、食いはぐれのない人間に育てるしつけです。一人旅に出立させて、
苦労を積ませ、つらさにへこたれない、自立した人間に育てるしつけです。
 昔の親は多忙で、家族の人数も多く、子どもにかまってやれなかったとい
うこともありますが、それだけでなく、「苦労は買ってでも、子どもに与え
よ」と言って、子どもにわざと苦労を与えて育てたものです。
 今日の親のように子ども密着、過保護、過干渉とは全く逆の育て方をして
いました。親の中には、わざと丁稚奉公や女中をやらせ、親元を離れさせ、
他人の家の中で苦労を味わわせて、手職や家事を覚えこませたりもしました。
家が貧乏で、食いぶちを減らす、ということから丁稚奉公や女中へ行かせる
家庭もありました。
 今でも芸人の世界では徒弟奉公の制度があります。そこでは、当初は掃除
や家事労働ばかりやらされるそうです。掃除もまともにできない者には芸道
の修行などおぼつかない、掃除は修行の第一歩だ、というわけです。昔の親
は、こうしてわが子に苦労を味わわせて手職や家事を覚えこませ、へこたれ
ないで、立派にひとりだちできる職業人・家庭人に育てあげました。



          
今のしつけ方法



≪お手伝いする仕事がない≫


 今の母親は、「子どもにお手伝いをさせよと言われても、家の中を見回し
ても、子どもに手伝ってもらうような仕事がない」と言います。炊事、掃除、
洗濯などの大部分が電化され、母親の仕事が少なくなり、子どもに手伝って
もらわなくてもよくなったことは確かです。まき割り、たき木拾いが電気、
ガスに代わり、ほうきの掃除が電気掃除機に代わり、かまどのめしたきが電
気炊飯器に代わり、井戸からの水汲みや風呂わかしが水道に代わりました。
かまどからガスに代わり、洗濯板でごしごしから全自動洗濯機に代わりまし
た。栓をひねると水道が出ます。スイッチを押すとガスや電気が点火して煮
たきができます。母親の家事労働は時間的にも驚くほど簡略化、省力化され
ました。
 昔は、第一次産業(農業、林業、漁業)が主でしたから、現在のように会
社や工場へ出勤して月給で生計を立てるということがありませんでした。大
家族で一軒の家の中に親兄弟の人数が多かったので、家族総出で野良仕事を
して生計を維持していました。家族全員が協力して働かなければなりません
でしたから、子ども達も親の仕事を手伝わざるを得ませんでした。
 敗戦後は、第二次産業(工業、鉱業、建設業)や第三次産業(商業、通信
業、金融、公務、サービス業)が盛んになり、農漁村の若者たちは都市に移
り住み、月給で生計を立てるようになりました。子どもは親と離れて生活す
るようになり、核家族化の現象が起こりました。職住分離が起こり、狭い住
居ではあるが、隣近所に気兼ねなく生活するというように変化しました。中
流意識をもつようになり、ものの見方・考え方も多様になってきました。


≪昔は家業が固定し、しつけ方も固定してた≫

 昔は社会的身分が固定していて、農家の子どもは農業を継ぎ、漁師の子ど
もは漁業を継ぎ、商家の子どもは商業を継ぐというようになっていました。
大体が親の家業を継いだのであり、大人になっての職業が小さい時からはっ
きりしていました。それだけに親のしつけ方の基準もはっきりしており、身
分に応じた分相応のしつけ方で育てることになっていました。また、親の職
業に応じて、それぞれに家風があり、その家風によってしつけていけば間違
いないしつけができるようになっていました。
 現在はどうでしょう。自由と平等と民主主義の世の中です。身分の観念は、
皇室や伝統芸能の一家に一部残っていますが、ほかは全くといってよいほど
消え去っています。家(身分)の圧力が子どもから自由を奪っていた時代は
過ぎ去りました。職業選択の自由も保障されてします。希望する職業につけ
るようになりました。
 それだけに、親にとっては、わが子の将来、どんな職業につくかの見通し
がはっきりしなくなり、何を、どうしつけたらよいかが分からなくなり、ど
んな人間(職業)をめざしてしつたらいいかも分からない、ということが起
こりました


≪父親不在の母親まかせ≫

 父親の権威喪失も、それに拍車をかけています。昔は、家父長制があって、
父親に絶対的に服従しなければならない権威がありました。昔は、父親は田
や畑や山や海や町工場や商店など、子どもの見える場所にいて、子どもに仕
事を手伝わせながら指導し、子どもを監視していました。父親は恐い存在で
あり、わが子を一人前の働き手としてしっかりとしつけていました。
 現在は、父親は会社や工場へ通勤するようになり、家の中でわが子と顔を
合わす時間も少なくなりました。父親の権威も失われ、父親の自信喪失も重
なって、現在の家庭は、父親不在となり、母子家庭と同じだなどと言われる
ようにまでなりました。父親は、家庭では粗大ゴミだとか、月給運搬人だと
かまで言われるようになりました。子育ては母親に一切をまかせるようにな
り、母親がひとりで、わが子のしつけ方にいろいろと悩むという現状にあり
ます。
 昔の母親は子どもをたくさん産みました。戦争中は、軍力・戦力・国力増
強の国策のため、産めよ殖やせよ、と大日本帝国は国民にはっぱをかけまし
た。国民に子産みを奨励しました。母親は炊事、洗濯、風呂たきなどの家事
に手間がかかって、わが子のめんどうをていねいにみることができません。
子どもは母親に甘えることができず、自分ひとりで自立した行動をとらねば
なりませんでした。


≪子どもは着せ替え人形?≫

 今は、母親の家事も電化されて便利になり、子どもの人数も少なくなった
ので、母親の興味関心はわが子に集中するようになり、母親の生きがいを子
どもの成長に求めるようになりました。子どもベッタリで、何もかも手をか
けてしまう母子の異常接近現象が見られるようになりました。子どもを着せ
替え人形として扱う母子密着の共生関係は、今日の子育てにいろいろな悪影
響を与えていると言われています。
 しかし、最近は、格差社会といわれ、母親が働きに出るのに仕事がない、
派遣の仕事が多い、幼児を預ける保育所がない、など種々の問題が話題にな
っています。母子密着の共生関係も変化しつつあり、模索の時代をなってお
ります。


          
ダメなしつけ方



 悪いしつけ方には、二つのタイプがあります。支配型と放任型です。構い
過ぎ型と、ほっぽり過ぎ型と言ってもよいでしょう。


(1)支配型のしつけ方

 支配型の親は、「私はわが子を厳しく育てています」と胸を張って言うタ
イプです。しかし、ほんとうは、わが子への期待過剰から、過干渉、過保護
のしつけ方になっていることに気づいていません。子どものやることにいち
いち口出しをします。親があれこれと先回りして世話をやき、手をかしてや
ります。いたれりつくせりの猫可愛がりをします。子どもが自分でやらなけ
ればならないことを親が手伝ってしまいます。
 親が手をかけ過ぎるので、子どもは自分ですることがなくなってしまいま
す。小学生になっても、親が洋服の脱ぎ着を手伝ってやります。鼻をかむ時
も、親が子どもの鼻にちり紙を当てて「チュンと出しなさい」などと言いま
す。朝、起床時になると親が起こしてくれます。次はトイレに行きなさい、
次は歯を磨きなさい、次々と指示を出します。顔を洗わないでぐずぐずして
いると、親が濡れタオルでふいてあげます。友だちは誰にしなさい、どこで
遊べ、何時に帰って来なさい、時計を腕にはめて行け、のようにお膳立てし
て、子どもの行動の一つ一つに構え過ぎます。
 これでは、自律的な生活能力、身辺処理能力が身につくはずがありません。
依頼心が強くなり、親を当てにし、自分のことが自分でできない、誰かの指
示や命令がないと動けない子になります。身の回りのことが自分の判断で行
動できない子になります。他人まかせな子になります。
 のろまな子、てきぱきとした行動ができない子になります。自分本位で、
わがままな子になります。幼稚な考え方の子、社会性の欠けた子になります。
引っ込み思案で独創性のない子になります。
 こうした支配型の親のことを「ちょっぴり産んで、たっぷりいじる親の子
育て」などと言うこともあります。わが子をバカ殿さまやバカ姫様に育てて
いるのです。これが、わが子に対する親の愛情と信じているのでしょうが、
愛情のかけ方が間違っています。子どもと密着しすぎています。
 子育ては一大事業です。家庭器具が電化されて時間の余裕もできたわけで
すから、わが子に密着した子育ての時間の何割かを、別の自分の世界を持つ
時間にしたら、どうでしょう。あなたの有能さを別のことに有効に使ったら、
どうでしょう。子どもから気持ちを離して、女としての素敵な人生の新しい
時間を作ったら、どうでしょう。
 趣味や特技を生かしたり、地域社会の活動に参加したり、自分の能力の再
開発を図ったりしてみたら、どうでしょう。親の子離れ、この方が子どもの
ためにも、自分のためにも、よいのです。昔から「親はなくても、子は育
つ」と言われています。わが子に余り心配症にならなくても、子どもは自分
の道を選びながら育っていくものです。子どもから自立の芽を摘みとる子育
てはやめましょう。わが子を自立の王者に仕立てる、そうした女の生き方を
求めましょう。


(2)放任型のしつけ方

 放任型の親は、「私はわが子をのびのびと育てています」と胸を張って言
います。「のびのびと育てる」とは、ほんとうは自由放任主義のことです。
子どもを、放りっぱなしにして、甘やかす育て方です。支配型の親のように
子どもにベッタリと密着し、子どもから離れることをしないのもいけません
が、放任型の親のように離れっぱなし、放りっぱなしの育て方もよくありま
せん。しつけるべきところは厳しくしつけ、つき放すべきところはつき放す、
という子育てであるべきでしょう。
 今の母親は変なところでつき放しているところがあります。乳幼児をだっ
こしない、おんぶしない、母乳を与えないなどの子育てが普通になってきて
います。乳幼児はスキンシップが大切です。泣いている乳幼児は抱かれると
すぐ泣きやみます。スキンシップが乳幼児の感情を安定させるのです。乳幼
児期にたっぷりと愛情をかけてやれば、成長するにつれて親離れがスムース
にいき、自立心も育っていくようになります。
 歩きはじめた子が転ぶと危ないからと、すぐ歩行器の中に入れます。家庭
勉強でも、子どもの勉強を見てやろうとしないで、直ぐ学習塾に行かせます。
学習塾で子どもがどんな内容の勉強をしているか、カバンやノートを開いて
調べようとしません。習い事に行かせて、そこの先生に子どものしつけや行
儀作法を頼む母親もいるみたいです。
 子どもの言いなりになり、子どもの気にいるように調子を合わせ、子ども
に奉仕するだけの放任主義のしつけ方はよくありません。わがままし放題に
させ、つき離すだけで育てると、自分の気に食わないことがると、直ぐわめ
きちらしたり、暴力に訴えたりする子になります。
 親が子どもの要求を何でも受け入れ、子どもの機嫌をそこなわないように
むやみやたらにお金を与えたり、好むものをやたらに買い与えたりして、あ
とは放りっぱなしというしつけをすると、横暴で、わがままで、自己中心性
の強い、忍耐力のない子どもに育ってしまいます。
 「母子密着の過干渉で支配一辺倒の子育て」、「甘やかして放りっぱなし
の放任型一辺倒の子育て」、両方ともよくありません。親としてはわが子の
健やかな成長を願い、善意からそうしているのでしょう。しかし、それが悪
魔の愛情であることに気づいてほしいと思います。
 親はどのような愛情をかけるのがよいか、教えるべきことは何で、何をつ
き離し、どのように習慣化していくとよいか、押さえるカンドコロは何か、
手をかけるところ、つき離すところはどこか、もう一度、自分の子育て方に
ついて反省してみましょう。学級懇談会でみなさんの実情を話し合って、意
見を交換してみましょう。


       
しつけは子ども文化を作る



 しつけとは、着物の仮縫いのしつけから由来したコトバだそうです。仮縫
いのしつけとは、最初に着物を仮りにざっとしつけ糸で縫いつけて仕立てて、
型どりをすることだそうです。これを子育てに転用させたわけで、今では、
しつけとは子どもを一定の基準で型にはめること、子どもの行動に一定の規
格で統制を加えて枠にはめることを意味しています。
 しつけは文化です。親が子にするしつけは、それぞれの国によって違いま
すが、それぞれのしつけ内容が、その国の文化を形作っていることになりま
す。日本人のしつけ内容は日本文化の一部を形作っており、ドイツ人のしつ
け内容はドイツ文化の一部を形作っておりことになります。
 しつけは親が身につけてきた文化です。親が子どもをしつけるとは、親が
身につけてきた文化を子どもに伝えることです。しつけは一定の行動の基準
枠はめであり、そこには幾世代を重ねて積み上げてきたチエや工夫が宿って
います。しつけは長い期間にわたって作り上げら、受け継がれてきた民族の
チエと工夫の結晶です。
 幼児から身につけ習慣化されてきたしつけは、その子どもの深部に浸透し
て、その子どもの行動や性格を形成します。しつけは、子どもの内面の精神
が外面に表れた動作、振舞だとも言えます。あるいは、外面の動作、振舞が
精神となって内面化されたものだとも言えます。初めは窮屈に感じられるこ
ともあるでしょうが、やがて窮屈さもとれて、その動作、振舞が時に応じて
ごく自然に、空気みたいに精神となって呼吸していき、日常のなにげない振
舞となっているわけです。
 なお、良いしつけ方については、本章(第19章付録)全体で種々の方法に
ついて述べています。


            
参考資料(1)

 下記は、毎日新聞(2014・12・18)投書欄「みんなの広場」に掲載されて
いた記事です。

       親「に」なる 親「と」なる
             高校生 上田優華 18 (熊本県宇城市)

 親「に」なると、親「と」なる。似たような意味だが中身は全く違う。親
「に」なるのは誰でもできる。しかし、親「と」なるには、わが子を自立し
た大人に育てる義務と責任がついてくる。天と地のような差だ。
 最近、親が子供を殺すニュースをよく耳にするようになった。どんな事情
があったにしても、あまりにも無責任過ぎる。子供が生まれ親「に」はなっ
たが、親「と」はなっていなかったのだ。
 子供の将来はほぼ親によって決まると言っても過言ではないだろう。また
「子供の将来は親の学歴と収入によって決まる」というような新聞記事も見
た。
 私はまだ学生であり、自分が親となる姿は想像もつかない。しかし、学力
をつけることで自分の視野が広くなり、わが子を育てるうえでも必要不可欠
なものだということを知った以上、今は勉学に励むのみだ。
 小さなことを少しずつ積み重ね、その積み重ねた分を自分のこれからに生
かす。親「と」なるために。



            
参考資料(2)

 下記は、毎日新聞(2014・12・28)投書欄「みんなの広場」に掲載されて
いた記事です。

      心にしみた「に」と「と」の違い
               主婦 藤井和代 33 (長崎市)

 12月18日の本欄に、「親になること、親となること」の違いについての投
稿があった。今まで気にも留めず使用してきた言葉の意味の違いに驚いた。
 投稿を読んだ後に自分でも調べてみた。
「〜になる」とは自然の成り行きの結果としての状態。
「〜となる」とは過程を経た結果を重視する、明確な主張や積極的な意思を
表現するというような意味になるそうだ。
 投稿された高校生も言われていたが、まさに大きな差があるように感じる。
 ちょうど年賀状を作成していたので「良い年になるよう、がんばります」
と書いていたものを「良い年となるよう」と書き換えた。流れに身を任せて
いるだけでは何事も成し遂げられない。自分のなすべきことに責任を持ち、
目標を立て、それに向かって努力する。そういった年にしていきたいという
決意を込めて。
 ちょっとした助詞の違いでこのように意味が変わるとは日本語は本当に奥
が深い。言葉を見直すきっかけにもなった。ありがとう。


           
参考資料(3)


 下記は、東京新聞(2017・7・31、夕刊)の社会面に掲載されていた記事
からです。

     お尻たたきのしつけは逆効果
           日米チームの幼児調査から

 悪いことをしたときにお尻をたたく幼児への体罰は、約束を守れないなど
の問題行動につながり、しつけとして逆効果になる。
 そんな研究結果を藤原武男・東京医科歯科大教授(公衆衛生学)や、イチ
ロー・カワチ米ハーバード大教授らの研究チームが、国際子ども虐待防止学
会の学会誌に発表した。
 虐待には至らない程度の、しつけとしての体罰が成長に悪影響を及ぼすか
どうかを巡っては議論があるが、今回の結果は問題行動につながる可能性を
示すものとして注目される。
 チームは、厚生労働省が子育て支援策などへの活用を目的に2001年生
まれの人を追跡している「二十一世紀出生児縦断調査」のデータ約二万九千
人分を使い、三歳半の時にお尻たたくなどの体罰の有無が、五歳半に成長し
た時の行動にどう影響しているかを分析した。
 その結果、三歳半の時に保護者から体罰を受けていた子どもは、全く受け
ていなかった子どもに比べ、五歳半の時に「落ち着いて話を聞けない」とい
う行動のリスクが約1・6倍、「約束を守れない」という行動のリスクが約
1・5倍になるなど、問題行動のリスクが、高いことが分かった。体罰が頻
繁に行われるほど、リスクが高くなっていた。
 分析では、家庭環境や本人の性格の影響が出ないように統計学的な調査を
した。
 家庭での子どもへの体罰はスウエーデンなど約五十か国で法的に禁止され
ている。藤原教授は「お尻をたたくことは日本では社会的に許容されている
部分があるが、今回の結果からは、問題行動につながる行為だと言える。大
人が一時的な感情を子どもにぶつけているだけで、しつけにはなっていな
い」と語る。

 西沢哲・山梨県立大教授(臨床心理学)の話
 虐待に至らない程度の体罰が子どもに悪影響を及ぼすことを明確に示した
非常に重要な研究だ。
 低頻度でも影響があるという結果にも注目したい。
 しつけは子どもが自分で自己調整能力を高めるための支援であり、恐怖で
行動を制御しようとする体罰は逆効果だ。子どもが悪いことをしたら、親は
その理由を理解し、どう支援するか考えてほしい。



          このページのトップへ戻る