卒業生からの寄稿文(1)



                  
はじめに


  はじめに荒木の注記を書きます。
  昨年(05年)の6月、教え子から突然に三十数年ぶりのメールを戴き
ました。荒木がまだ独身の若き日、横浜市立下田小学校で担任していた大久
保忠宗君からのメールでした。
  メールには、大久保君がわたしのホームページ「音読・朗読・表現よみ
の学校」を偶然に目にしたこと、わたしの音読授業を受けたときの思い出な
どが書いてありました。
  大久保君の記憶力は抜群で、小学校1・2年生のときの音読授業を鮮明に
思い出して書いてくれていました。わたしは、なつかしくもあり、直ぐに大
久保君の思い出などをしたためて返信文を送りました。
  そのままになっていた半年後、「そうだ。大久保君は、わたしの音読授
業を鮮明に記憶してくれていた。わたしの音読授業のことを記憶をたどって
MY HPに寄稿してくれないかなあ。頼んでみようっと。」という思いが
ひょいっと頭に浮かびました。
  大久保君へお願いメールを出しましたところ、快諾メールを戴きまし
た。「表現よみ授業のことだけでなく、書きたいこと、ご自由に。」という
ことで原稿依頼をしました。


           
大久保君のこと


  大久保忠宗君とは、彼が小学校を卒業して以来、メールでのやりとりは
ありますが、まだお会いしたことはありません。十数年前、NHK教育テレ
ビで「筝のおけいこ」という連続講座があり、そこで、生徒さんになって毎
回出演している大久保君の姿を見たことがあり、「へー、大久保君、お筝を
やっているんだあ」などとなつかしく思ったことがあります。
  大久保君は、公立小学校を卒業して、慶應義塾普通部に進学、同高等学
校・同大学文学部を経て同大学院修士課程を修了、慶應義塾普通部の社会科
教師となりました。
  大久保君は現在(06年)、月刊誌『三田評論』(慶應義塾発行)に
「現代に生きる福澤諭吉のことば」という表題で記事を連載中です。
  多忙な勤務の中、原稿を寄稿していただき、ありがとう。


            
若干の補説


  大久保君が書いてくれている文章の中で、若干、補説をしておいたほう
がよいと思うことについて書きます。
  大久保君の寄稿文には、東京目黒区碑文谷・目黒福祉センター・ホール
で開催された日本コトバの会主催「表現よみ発表会」に参加したことについ
て書いてくれています。
  この表現よみ発表会は、「日本コトバの会」の会員(社会人)たちが十
名前後、ホールの舞台上で文学作品を次々に音声表現して日頃の練習の成果
を発表して、観客に聞いていただくという会で、年一回開催されていまし
た。
  たまに、日本コトバの会の会員である教師と、その受け持ちの児童生徒
たちが舞台に上がり、児童生徒たちの表現よみの模擬授業を観客に見ていた
だくという催しもありました。
  そこに、大久保君が出演していただいたことがあります。わたしが担任
していた横浜市立下田小学校2年生児童を引率して表現よみの模擬授業公開
をしたことがあります。教材は、アルチューホワ作・西郷竹彦訳「大きなし
らかば」で、出演児童は大久保忠宗・斎祥子・小田由美の3名でした。40
分前後の表現よみの模擬授業だったと思います。
  中学校からは、渡辺武先生(目黒3中)が自校の中学1年生を三名引率
して、太宰治「走れメロス」の表現よみの模擬授業を、同じく舞台上で公開
しました。
  観客たちは、受付で教材文を受けとっており、文章を見ながら教師と児
童生徒との話し合い授業や実際に子ども達の読み声を耳にすることができま
す。
  観客たちからは、文章(作品)のどこをどう読めばよいかの観点・目の
つけどころがよく分かり、子ども達の実際の読み声やそれへの共同助言や合
評、再度のやりなおし読み声も聞けて、とてもよい勉強になったと、たいへ
んな好評を博しました。



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卒業生からの寄稿文(1)         06・7・5記



        
表現よみを体験して(その1)



                             
大久保忠宗(慶應義塾普通部教諭)



                       
はじめに


 僕は昭和48(1973)年に横浜市立下田小学校に入学した。総勢千二百人の
マンモス校で、荒木先生のクラスになったのは、やはり一つの縁だろう。
 しかもその縁がまた巡ってきたのか、僕はある日、星の数ほどあるウェブ
サイトの一つ、「音読・朗読・表現よみの学校」に辿り着いた。先生は何と
そこでドジョウ掬いをしておられた。早速メールを差し上げた。
 そして結局、先生がお書きになっている通りの次第で一文を寄稿すること
になった。数年間の時間の中ではごく僅かな部分なのだが、書けることはい
ろいろありそうだと思う。思い出すままを綴ってみよう。


                 
一、「大きな白樺」


 「おい、アリョーシャ」と、ボロージナが呼んだ。
 「おまえ、まだあの白樺にはのぼれないだろうな。」
 「だって…。ママが登ってはいけないっていうんだもの。」
 僕の記憶では、ロシアの作家アルチュホワの短編「大きな白樺」の出だし
は、たしかこんな調子であった。
 荒木先生と一緒にこの小説を読んだのは、小学校2年生の後半か、3年生
の時だったろうと思う。ある日のこと、母が僕に言ったのだ。
 「荒木先生があなたを特訓したいんだって。やってみたら。」
 先生には小学校の1年、2年と担任をして頂き、お世話になっていた。そ
の先生が僕を呼んで、読みの練習をさせたいとおっしゃっているという。母
は何だかとても良いことのように喜んでいた。「特訓」とは大袈裟だが、こ
れはうちの符牒のようなもので、授業ではない何か特別な勉強のことだ。
 荒木先生の特訓は何だろう。難しいことだったらどうしよう。
 休みの日、静まり返った学校に行くと、そこに同級生の女の子、小田由美
さんと斉祥子さんもやってきていた。クラスには苦手な人が多かった中で、
小田さんも斉さんも、僕には話しやすい人たちだった。
 先生は3人に、青焼きよりひとつ上等の、爪でこするときりきりと音を立
てそうな、今で言ったら感熱紙みたいなコピーを配られた。それが「大きな
白樺」だった。そして、これが僕と「表現よみ」の出逢いであった。


              
二、表現よみは不思議な世界


 「それでは、これを読んでみましょう。」
 先生は教材を配ると、さっそく授業を始めた。生徒3人の不思議な授業。
この作品を、声に出して読む。それにはどう読んだらいいかを考え、意見を
出し、実際にそのように読んでみる、というのが内容だった。
 しかし、声を出して読む作業は行きつ戻りつ、なかなか先には進まない。
一文一文、一語一語を見て、その情景や読み方を考えながら進むのだ。
 ボロージナはアリョーシャより何歳か年上の男の子。だからアリョーシャ
に対して威張っている。強そうだ。体も大きい。アリョーシャに、おまえは
小さい弱虫だから、この白樺の木には登れやしないだろう、と、馬鹿にした
調子で言うのである。
 ならば「おい、」は、「アリョーシャ」は、どう読んだらよいか。
 やってみる。直される。意見も出る。違う読み方もあると知る。また読
む。
 そして次の「と、ボロージナが呼んだ」が続く。その前は、ボロージナの
呼びかけだ。「と、ボロージナが呼んだ」は、ボロージナの声ではない。い
わゆる「地の文」だから、読み方が大きく変わるのだ。冷静な感じになる。
そして「アリョーシャ」のあとには、停頓がある方がよい。
 「と、」の後も、少し空けると、はっきりするだろうか。「と、」の後を
空けないで読む。そして空けて読む。開けた方がよいということになる。
 そのあとはアリョーシャだ。年下だ。身体だってずっと小さいのだ。だか
ら、ボロージナに答える「だって。」は、ずっと弱そうな声。「ママが…」
は甘えた感じだ。「ママ」なんていうんだから。
 そんなことを少しずつ話し合いながら、授業が進んでいったと記憶する。
 停頓するところに印を付けた。また、情景を思い浮かべて、どういう気持
ちか、どう読むかなどを、プリントのその箇所に書き込んでいったと思う。
 実はこの授業、このように休みの教室でやるだけではなくて、上手く読め
るようになったら、こんどは同じように発表会で読まなければならないので
あった。これがまた学校の授業と違うところで、それが面白くもあり、また
大きな問題でもあった。
 ちゃんと読めるようにならなくては。だから、僕は家に帰ると、書き込み
の入ったプリントを眺めて、今度は独り声に出して読む練習をした。
 家族のいる場所では恥かしい。集中も出来ない。誰もいない時間の居間
や、家族がいるときなら二階の部屋で練習をした。不思議な感じ。何か充実
したことをしているような気がした。ボロージナになったような気で読む。
次は冷静な声のところ、地の文。そして僕は、アリョーシャになる。
 3人だけの授業が何回か続いたと思う。家でおさらいをしながら、他人が
出来ない特別のことをしていると考えたら、何だか面白くなった。発表もち
ゃんと出来そうな気がしてきた。


           
三、アリョーシャは木に登り、そして叫ぶ


 「おーい」
 ただそれだけの一言だ。それをどう読んだらいいかが、問題になった。
 アリョーシャはボロージナがいなくなると、一人で大きな白樺に上り出
す。
少しずつ上って、ついにてっぺんを極め、そこで「おーい」と叫ぶことにな
っている。では、どういう気持ちで叫ぶのだろう。
 白樺の木は僕も見た事があった。軽井沢に行ったとき、白樺林の中を歩い
たのだ。家には白樺細工の民芸品もあった。だから手触りもよく分かる。た
だ、軽井沢の白樺は貧弱だ。抱えて登るような大木じゃない。そしてこの話
は「大きな白樺」なんだから、そこから先は想像の世界。
 木登りにしたって、僕は得意じゃなかった。神社の跡地で枝のたくさんあ
る、どんぐりの木に上ったのがせいぜいなところ。だが白樺は真っ直ぐな木
だし、枝だって少ないだろう。
 よく分からないから、僕は試しに近所の電柱に上ってみた。つるつるして
いて上れない。それじゃあというので、近所の塀の上に登って、そこから、
えいと抱き着いたら、近所のおばさんから叱られた。「危ないからやめなさ
い。」それで計画はあえなく挫折、完全に想像だけで、この大きな白樺に上
らなければならなくなった。
 たしか、原作の表現ではアリョーシャが木に上るところも丁寧に描写して
あったはずだ。それを読むとき、僕は高い高い電柱のような白樺を想像しな
がら、一生懸命上ることにしたのだった。
 ともあれ、アリョーシャになって何とかてっぺんまで上ったとしよう。そ
こで「おーい」と叫ぶのは、どんな調子か。
 得意な気持ちだろうか。やった、と喜んでいるのか。怖いのか。目にはど
んな光景が映っているのか、いろいろ想像しながらさまざまな調子でやって
みた。遠くまで聞えるように、大きな声で叫ぶのは分かった。僕だったら怖
いのは間違いがない。怖いけれども大きな声は出さなければいけない。これ
が難しかったように思う。
 そして、実はこの「おーい」の一言が、後に発表会では一大事件(?)に
発展することになるのである。


                
四、たいへんだ!は大変だ


 ストーリーはさらに続く。アリョーシャの声が聞えて気付いたのだった
か、自分が馬鹿にしたアリョーシャが、思いがけずも一人で白樺の大木に上
ってしまったことを知ったボロージナは仰天する。弱虫のアリョーシャが危
険なことをしている。それをさせたのは自分なのである。
 それでアリョーシャの「ママ」に急を告げに走るのだ。「たいへんだ」と
飛び込んだボロージナ。話を聞いて、アリョーシャのおかあさんは手にして
いた皿を取り落とした。
 そしてボロージナとともに現場に急行したおかあさんは、しかしアリョー
シャを驚かせないよう、緊張させないようにと優しく声をかけながら、つい
に無事に我が子を下に降ろすことに成功するのであった。
 アリョーシャの母のもとに走ったボロージナと母との会話は、とにかく風
雲急を告げているのだから、一気に早口で、しかも「表現よみ」で読まなけ
ればいけない。そして、白樺の下に辿り着いてからのアリョーシャとのやり
とりは、押し殺したようにゆっくりと。これは難しい部分である。
 今から考えると、この作品が「表現よみ」に適している一つの理由は、こ
のように場面転換が豊富なことであろう。こうやって、場面場面を想像しな
がら読んでいると、物語も、自然とそこに描かれた光景、登場人物の感情ま
で具体的に想像しながら読めるようになってくる。これが表現よみの大きな
メリットなのだと思う。また、さまざまな文を切り替えながら読むことで、
国語力全体が高まるという効果もあると思う。
 しかし、当時は勿論そんなことは分からない。しかもこの物語の後段のよ
うに、早口で読まねばならないところは、小学校低学年や中学年の子どもに
は、かなり大変なことだ。加えて僕は話す速度が早い方ではない。だから、
早口で読むのは本当に骨の折れることだった。


                 
五、発表会で叫ぶ


 さて、いよいよ発表会当日。家族と一緒に会場となる目黒碑文谷の公民館
に出掛けた。随分大きな発表会だと知った。会場も立派で驚いた。
 順番が来て、先生と僕ら3人は舞台に上がった。壇上で、模擬授業のよう
なことをするのである。読み慣れた教材を用いて、一人ずつ区切って順番に
指定されたところを読み、その後で、みんなで所々の解釈を話し合った。
 壇上のライトはいやにまぶしい。客席からは大勢の人の気配が感じられる
が、上からはよく見えない。それで緊張したのを覚えている。
 順序が巡って、僕が指されたのは、例の風雲急を告げる場面、ボロージナ
がおばさんすなわちアリョーシャの母親の所に駆け込む場面だった。ここが
一番難しいのに。
 大体、教材の後ろの方だから、読みも余り練習できていないという気持ち
があった。それでも何とか夢中で読んで、読みおおせた、と思う。だから僕
は正直なところ、ほっとしたのであった。
 と、突然、なぜか授業は手前のアリョーシャが木の上で叫ぶ「おーい」の
解釈へと戻ったのである。
 そして、それをどう読んだらいいか、大久保君、と、たぶんいきなり指さ
れたのだ。安堵もつかの間、意表を突かれた僕は、直前に読んだ場面、駆け
込んだボロージナと皿を取り落としたお母さんの勢いそのままに、とびきり
大きな声で「おーい!」と叫んだ。
 自分の声が反射してかえってきた、と、同時に会場がどっと沸いた。よっ
ぽど可笑しかったのだろうが、この大きな反応に僕はたまげた。想像を超え
る大勢のお客さんが笑っている。それで、後は頭の中も真っ白になってしま
ったのである。
 ただ、それからいろんな「おーい」と意見が飛び出し、ついには荒木先生
が喉を震わせ、動物のいななくような不思議な声で「おーほほほほーい」と
実演されて、一層盛り上がったと記憶している。当人の困惑をよそに、場の
空気が和んだという意味では、僕の「おーい」も結果的に少しは貢献できた
のかもしれない。
 発表が終わり、休憩になった。会場の前の方に父と母がやってきて、あの
「おーい」はよかった、となおも笑いながら言うので、僕は恥かしくなっ
た。
しかもそこへ、荒木先生の先生、すなわち「日本コトバの会」の主催者であ
る大久保忠利先生もおいでになった。話題はまた「おーい」の話。
 だが先生は終始にこにこしておられ、頑張りなさいと激励されてお別れし
た。誉められたのかな、と思ってほっとした。
 大久保忠利先生の励ましは救いだった。ただ後年、先生の訳されたハヤカ
ワという学者の著書を書店で見るたび、その背表紙に先生のお名前を見るた
びに、僕の記憶が、あの「おーい」へと引き戻されるのは事実である。



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参考資料・原文


      
大きなしらかば   


              
アルチューホワ作  西郷竹彦訳 
 

              

「おい、アリョーシャ。」
と、ボロージナがよんだ。
「おまえ、あの大きなしらかばには登れないだろうな。まだ小さいからな
!」
「ぼく、のぼりたいんだけど。」
アリョーシャは、まゆをしかめて、答えた。
「でも、許してくれないのさ。ママがね、登るより下りるほうがずっとむず
かしいって言うんだもの。」
「へーん、あまえっ子!」
ボロージナは、くつをぬいで、そのしらかばのそばにある高い切りかぶの上
にとび上がると、手足で幹をだきかかえるようにして、登り始めた。
 アリョーシャは、うらやましそうに見ていた。緑にしげったえだは、まる
で空にとどきそうな、いちばん高いところにだけ付いていて、幹はほとんど
なめらかだ。ところどころに、こぶや、古いえだの折れたあとがあるだけ
で、それが地面からずっと上の方で二つに分かれており、その白っぽいすら
りとした幹が、両方とも空に向かってまっすぐにのびていた。
 ボロージナは、もう、その分かれ目の所まで登って、足をぶらぶらさせな
がら、こしかけている。
「ぼくのところまで登って来い、あまえっ子!」
ボロージナは、からかうのをやめない。
「えだがないから登れないんだろう。こわいんだな。!」
「ちがうよ!」
アリョーシャは、こらえきれなくなった。
「ぼくは、学校の登りぼうの半分まで登れるんだよ。」
「なんだって、たったの半分までしか登れないのかい? お許しがないのか
い。」
 アリョーシャは、ふくれっつらをして、庭のずっとはなれたすみっこの方
に、ひっこんでしまった。
 ボロージナは、しばらくしらかばの上にこしかけていた。でも、からかう
相手もいない。といって、すべすべした幹を、もっと上の方まで登っていく
決心もつかなかった。ボロージナは地面に下りて、家へ帰っていった。

 庭に一人のこったアリョーシャは、また大きなしらかばの木に近寄って、
辺りを見回した。小道にはだれもいない。アリョーシャは、こぶの一つ一
つ、えだの折れたあとの一つ一つにつかまりながら、上り始めた。下の方の
幹はあまり太くて、足でかかえこむことができないのだ。
「ボロージナはいいなあ、足が長くて!」
と、アリョーシャは、はらだたしく思った。
「でも、ぼくはボロージナよりも、もっと高く上ってやるぞ!」
 そして、もっと高く、もっと高くと、だんだん登っていった。木は、下か
ら見て感じられたようには、なめらかではなかった。手をかける所も、足を
かける所もあった。もう少しだ、もうちょっと……。そうすれば、分かれ目
にとどくことができるだろう。そこまでいけば、ひと休みすることができ
る。
  さあ、登り着いた。アリョーシャは、さっきボロージナがしていたよう
に、馬乗りになってこしかけた。しかし、いつまでもこしかけてはいられな
い。だれも来ないうちにてっぺんまで登ってみなければならない。アリョー
シャは立ち上がって、上の方を見上げた。右の幹は、左のよりも高い。ア
リョーシャはそちらのほうを選ぶと、登り棒を登るようにして、登った。
「ちっとも、むずかしくないや!」
アリョーシャは、はきだすように言った。
「ちっとも、こわくなんかないや!」
 べっそうの屋根や、庭の木々や、ぼだいじゅを見下ろすのは、気持ちがよ
かった。そのぼだいじゅは、ここから見ると、こぢんまりと、やわらかく、
うぶ毛におおわれているようだった。地面は下の方に遠く広々と広がってい
る。庭の向こうに谷が見え始めた。谷の向こうには、野原も森も見えてき
た。おかのかげから、遠くのれんが作りの工場のえんとつが、ひょっこり現
れた。
 しらかばのてっぺんの、いちばん初めの緑色のえだにやっと登り着いた
時、アリョーシャはいっそう暑くなって、少しめまいのするのを感じた。
「おうい!」
と、アリョーシャは、大きな声でさけび始めた。
「おうい!」

アリョーシャのお母さんは、台所で、かたに大きなふきんをかけて、最後の
茶わんをふいていた。とつぜん、開け広げたまどに、ボロージナのおびえた
顔が現れた。
「ジーナおばさん! ジーナおばさん!」
と、ボロージナは大声でよんだ。
「どうしたの?」
「おばさんとこのアリョーシャが、大きなしらかばの木に登ったんだ! 落
ちるかもしれないよ。」
茶わんが、お母さんの手からすべり、ゆかにくだけて音をたてた。
「どのしらかばなの?」
「大きいのだよ! 木戸の向こうの!」
おかあさんはテラスにとび出し、木戸の外へ走り出た。
「どこ?」
「ほら、あそこだよ、あのしらかば!」
 お母さんは、白い幹の二つに分かれている辺りを見上げた。アリョーシャ
のすがたは、そこに見えなかった。
「何じょうだん言うの、ボロージナ。」
と、お母さんは言った。
「ううん、ちがうよ、ほんとうだよ。」
とボロージナはさけんだ。
「ほら、あそこ、あそこ、いちばんてっぺんにいる! えだのかげにかくれ
ているんだよ。」
お母さんも、今度はアリョーシャのすがたに気がついた。お母さんは、その
えだから地面までのきょりを目で測った。お母さんの顔は、まるで、そのす
べっこいしらかばの幹と同じくらいに白くなった。
「アリョーシャは気がへんになったんだ!」
と、ボロージナが言った。
「だまって!」
と、お母さんは小声できびしく言った。

(以下、省略。アリョーシャはお母さんの的確な指示によって、大きなしら
かばの木から安全に下りることができた。おかあさんは「アリョーシャ、約
そくしてちょうだい。もう、決して、こんなにママを苦しめないって。」と
言うのだった。)

 この作品は、昭和39年から昭和59年まで20年間にわたり、東京書籍
『新しい国語 五年』に掲載されていました。

           つぎのページへつづく