音読授業を創る そのA面とB面と 2011・4・01記 「浸り読み」で言語感覚を育てる(2) ★★論説文の文章分析と浸り読み★★ 次に論説文についての文章分析を書きます。 ここで取り上げる文章は、金田一春彦『日本語の特質』(NHKブックス、 1991)の中にある文章個所です。この書物の下記引用個所は「日本語には、 ものを数える場合にいろいろな数え方があって難しい問題をかかえている」 という文脈の中にある文章部分です。 これは中央大学の中村通夫さんから伺った話でありますが、中村さんが 大学を出たてで、終戦前、文部省の役人をしていらっしゃった。文部省では、 戦争が激しくなる頃、国語の教科書の中に、今の子どもたちのために、桃太 郎の話がいいからあれを採用しようとした。中村さんが一番はじめにその原 稿を書いたのだそうですが、うっかりされたのでしょうか、こう書いたそう です。「桃太郎とイヌとサルとキジの四人は船に乗って島へ向かいました」 と。そうしたところが、委員会で「それはいけない」と早速異議が出た。桃 太郎は人間であるから一人でいいが、イヌ・サル・キジは動物だから、これ は「一人と三匹」としなければいけないのじゃないか、と言いだしたのだそ うです。そうしたら、またもうひとりの人が、いやイヌやサルは獣だから一 匹、二匹でいいけれども、キジは一羽、二羽と数えるのが正確である、文部 省の教科書というものは正しい日本語を教えるべきだから、これは「一人と 二匹と一羽」と言わなければいけない、と言った。ところがさらにまた一人 が文句をつけまして、「いや、イヌは、小さいイヌなら一匹、二匹でいいけ れども、桃太郎が連れていくようなイヌならば大きな犬だから、一頭、二頭 と言うべきだ」と。そうかと言って「一人と一頭と一匹と一羽は」と言うわ けにはいかない。さんざん悩んだすえ、最後に土岐善麿先生が、諸君のよう にみんな数えるようにしたらそれは大変なことになる、ここはいっさい数え ないことにして、「みんな一緒に船に乗りました」と言えば簡単じゃないか、 とおっしゃってやっとおさまったそうです。 金田一春彦『日本語の特質』(NHKブックス、1991)より引用 この文章個所は、金田一春彦さんが、中村通夫さんから伺った話しを、 後日、思い出して書いてる文章です。金田一さんが中村さんから伺ったとお りに文章化しているかどうかは知るよしもありません。わたし(荒木)は、 金田一さんが中村さんが語ったとおりに、そっくり同じに文章化していると は考えていません。金田一さんが聞いた話を、後日、思い出して書いた文章 ですから、やはり金田一さんの言葉で、言いぶりで、金田一さんの語彙と文 作りで、語り直して書いた文章だと考えます。 わたし(荒木)はこの文章個所を読んで、通常の論説文や解説文には見 られない文章表現力の素晴らしさがあると読み取りました。この文章個所には 表現のしかたにすごさがあります。そのすごさは、どこにあるか。この文章 個所には探偵小説のように読み手を先へ先へと読み進めさせる魔力のような エネルギーを含んでいます。この先はどうなるか、その先はどうなるかと、 読者を一気に結論(最終場面・結果)まで引きずり込んで読み進めさせる勢 いを持っています。 どうしてそうなのか。そのトリックを明かしてみよう。この話し内容は、 つぎのような論理的順序で書かれています。 (1)国語教科書の文章に「桃太郎とイヌとサルとキジの四人は船に乗って 島へ向かいました」と書いた。 (2)そうしたところが、委員会で「それはいけない」と早速異議が出た。 桃太郎は人間であるから一人でいいが、イヌ・サル・キジは動物だか ら、これは「一人と三匹」としなければいけないのじゃないか、と言 いだした。 (3)そうしたら、またもうひとりの人が、いやイヌやサルは獣だから一 匹、二匹でいいけれども、キジは一羽、二羽と数えるのが正確である、 文部省の教科書というものは正しい日本語を教えるべきだから、これ は「一人と二匹と一羽」と言わなければいけない、と言った。 (4)ところがさらにまた一人が文句をつけまして、「いや、イヌは、小さ いイヌなら一匹、二匹でいいけれども、桃太郎が連れていくようなイ ヌならば大きな犬だから、一頭、二頭と言うべきだ」と。そうかと言 って「一人と一頭と一匹と一羽は」と言うわけにはいかない。 (5)さんざん悩んだすえ、最後に土岐善麿先生が、諸君のようにみんな数 えるようにしたらそれは大変なことになる、ここはいっさい数えない ことにして、「みんな一緒に船に乗りました」と言えば簡単じゃない かとおっしゃってやっとおさまった。 ここの文章表現の優れた点は、だらだらと言葉を多く使って説明してい ないところところです。話し内容のひと区切りごとを簡潔明瞭に要領よくま とめていて、「これでどうですか」→「これはだめだ」→「これではどうで すか」→「これでもだめだ」→「これならどうか」→「それでもだめだ」→ 「では、こうしよう」という論理的連関が平易簡明な表現で、ぽんぽんとた たみみかけるように重ねられ、読み手は謎解きのように興味を引き付けられ ながら読み進めていくようになっています。一気に最後の結論まで引き込ま されて読んでしまう書きぶりです。先へ読むにつれて数え方がしだいに細か くなっていく、「一人と一頭と一匹と一羽」なんてユーモアがあります。ニ ヤリと笑わせられてしまいます。 読者は冒頭の「桃太郎とイヌとサルとキジの四人は船に乗って島へ向か いました。これではいけない」個所で、「いや、これでいいんじゃないの、 どこがまちがっているの」と疑問を持ちます。読者は間違いを指摘されて叱 られているような、中村通夫さんと共犯関係の立場に立たされます。「なら ば、正解はなんだ」と探究心が喚起され、金田一さんの叙述展開にそって読 者も謎解き現場に立ち会わされ、同行者となって読み進めていくようになっ ています。上記の文章個所には、そうした語りのトリックが見出されます。 最後は落語のオチのように「なるほどなあ」と読者はほっとさせられ、 ここでやっと安堵感を与えられ、心が静まり、「ああおもしろかった」とい う感慨深さと充実感を得てオシマイとなります。一部読者は意外性のある結 論に「そんなあいまいな、いいかげんな、あやふやな結論で済ましていいの。 もっと立派な日本語表現はないの?」と、軽い欲求不満を残して読み終える 人もいるでしょう。日本最高の国語学者・文化人たちの英知を結集した結論 づけだから、これが最善の結論だ」と物わかりよく納得する人もいるでしょ う。迷宮入りの結論づけみたいですね。 ★★「浸り読み」の音声表現★★ 次に、この文章個所の「浸り読み」の音声表現のしかた、荒木が音声表現 するとしたらこんな点に注意して読むについて書きます。 番号をつけています。番号内部は意味内容がひとまとまりになっていま すので、思いをひとつながりにして読みます。番号から番号へ移るときは、 そこで十分な間をあけます。次の番号へ移って文頭を読みだすときは、話題 が変わっていますので、転調して新しい場面を開くようにやや高めに明るく 音声表現していきます。 番号内部にある括弧内部はひとまとめに読み、括弧と括弧とのあいだに ほんの軽い間をあけて読み進めていきます。 (1)(これは中央大学の)(中村通夫さんから伺った話でありますが、) ≪落語で本題に入る前の枕ことばのように観客に向かって紹介するように語 っているように読み出す≫ (2)(中村さんが大学を出たてで、)(終戦前、文部省の役人をしていら っしゃった。) ≪観客に向かって中村先生のことを、紹介して語って聞かせているように 淡々と読み進めていく≫ (3)(文部省では、)(戦争が激しくなる頃、国語の教科書の中に、) (今の子どもたちのために、桃太郎の話がいいからあれを採用しようと した。) ≪読点が四か所あるが、ほんの軽く間をあけつつも全体をすらりひとつなが りに読み進める。ここでは括弧をつけてる内部の読点二個は間をあけない。 「桃太郎の話がいいから、あれを採用しよう」を目立たせて読む≫ (4)(中村さんが一番はじめにその原稿を書いたのだそうですが、)(う っかりされたのでしょうか、)(こう書いたそうです。) ≪淡々語って聞かせてるように読み進める。「うっかりされたのでしょう か」は、挟み込み文であり、やや小さめに落とした声にして読む≫ (5)「桃太郎とイヌとサルとキジの四人は船に乗って島へ向かいました」 と。 ≪これが原稿本文ですよ、と知らせるつもりで、全体をゆっくりと、相手に 分かりやすく丁寧に知らせてるつもりにして読み進める。語り聞かせてるよ うに読み進める≫ (6)(そうしたところが、)(委員会で「それはいけない」と早速異議が 出た。) ≪「それはいけない」と「早速異議が出た」とを目立たせて読む。 (桃太郎は人間であるから一人でいいが、)(イヌ・サル・キジは動物だ から、)(これは「一人と三匹」としなければいけないのじゃない か、)(と言いだしたのだそうです。) ≪「桃太郎は人間であるから一人でいいが」のあとに軽く間をあける。「イ ヌ・サル・キジは動物だから」をひとつながりに読む。「何は何だから何で いいが、何は何だから何でなければならない」の前半と後半との論理的連結、 二つを対比して区別してるように読む。「一人と三匹」もゆっくりと目立た せて読む。≫ (7)(そうしたら、またもうひとりの人が、)(いや)(イヌやサルは獣 だから一匹、二匹でいいけれども、)(キジは一羽、二羽と数えるの が正確である、)(文部省の教科書というものは正しい日本語を教え るべきだから、)(これは「一人と二匹と一羽」と言わなければいけ ない、)(と言った。) ≪「いや」を強めて読み出す。イヌ・サルの前半と、キジの後半との二つを 対比して区別してるように読む。「一人と二匹と一羽」をゆっくりと目立た せて読む≫ (8)(ところが)(さらにまた一人が文句をつけまして、)(「いや、イ ヌは、小さいイヌなら一匹、二匹でいいけれども、)(桃太郎が連れ ていくようなイヌならば大きな犬だから、一頭、二頭と言うべき だ」)(と。)(そうかと言って「一人と一頭と一匹と一羽は」と言 うわけにはいかない。) ≪「ところが」の「と」を強めて読み出す。「小さいイヌなら一匹、二匹で いい。桃太郎が連れていくイヌは大きなイヌだから一頭、二頭だ」という主 張点の中心となる思いを目立たせてはっきりと表現する。「そうかといっ て」は軽く読む。「一人と一頭と一匹と一羽」はゆっくりと目立たせて強め に読む。≫ (9)(さんざん悩んだすえ、)(最後に土岐善麿先生が、)(諸君のよう にみんな数えるようにしたらそれは大変なことになる、)(ここはい っさい数えないことにして、)(「みんな一緒に船に乗りました」と 言えば簡単じゃないか、)(とおっしゃって)(やっとおさまったそ うです。) ≪「さんざん悩んだすえ」のあと、思わせぶりに次への期待をもたせて間を あける。「諸君のようにみんな数えるようにしたらそれは大変なことになる、 ここはいっさい数えないことにして、「みんな一緒に船に乗りました」と言 えば簡単じゃないか、」までは、土岐善麿先生が語ったひとつながりの会話 文のようなものです。ひとつながりという思い・意識を消さないで読み進め ていく。上段から演説してる感じ、教え諭してる口調にして読む。 「みんな一緒に船に乗りました」をゆっくりと目立たせて読む。 「簡単じゃないか、とおっしゃって、」(間をあけて)「やっ、と、お、 さ、まっ、た、そ、う、で、す」のようにポツリポツリとゆっくりと読み進 め、しだいに下げていって読み納めとします。≫ これまで論じてきた金田一さんの文章個所の直後に、次の文章が改行な しで接続しています。 英語・ドイツ語・フランス語あたりでは、生きものを数えるときでも品物を 数えるときでも、また、生きものがイヌであろうとネコであろうと、何でも、 ワン・ツー・スリーで数えるようなところでは、このような悩みはまず起 こらないと思います。 金田一春彦『日本語の特質』(NHKブックス、1991)より引用 わたし(荒木)には、ここの文章個所には合格点を与えることができま せん。その理由は、もっとたくさんの言葉を使って詳述すべき事柄を多く含 んでいると思うからです。英語ではこう、ドイツ語ではこう、フランス語で はこう、と各国語での例文を「こんな数え方で、こう文表現する」と説明す べきでしょう。金田一さんの書きぶりでは英語もドイツ語もフランス語もす べてワン・ツー・スリーで数えると誤解を与えかねない表現にもなっていま す。国語学者らしく「数字・数詞・助数詞」の用語を使って説明していただ くと、よりいっそう分かりやすい文章表現になったことと思います。 さらにつづいて次の文章が改行して接続しています。 NHKでは、放送用語委員会というのがありまして、そこでアナウンサーが ニュースを放送する場合にどのような日本語を使ったらいいかということを 検討しておりますが、あるとき、マネキン人形をどう数えたらよいか、とい う議論が起こりました。人間ではありませんから一人、二人と数えるのはま ずいとしまして、どう数えたらいいか。パチンコの台みたいなものだから、 一台、二台と数えるのはどうかと一人の人が言えば、ある人は石灯籠のよう なものだから一基、二基と数えたらどうかという意見も出ました。最後に、 仏像のようなものとみなして一体、二体とするのはどうか、といったような 議論が出て、結局、一体、二体が一番いいということに決まったようでした。 金田一春彦『日本語の特質』(NHKブックス、1991)より引用 この本(金田一春彦『日本語の特質』)は、一般社会人向けの教養書で す。学者向けの学術論文ではありません。くだけた、ラフな、形式ばらない、 平易明快に書いた論説文というより解説文といったほうがぴったりの本です。 三番目に引用したここの文章個所は、文章表現の特徴として、通常の、一般 的な、よくみられる、ありふれた解説文の文章表現であると思います。わた しはそう評価しました。ここが優れて目立った表現である、わさびがピリッ と効いた文章表現である、こう取り立てて指摘する個所のない文章だと、わ たしは評価しています。ごく一般的な、広くみられる書き方の文章表現であ ると思います。読者のみなさんはどう評価するのでしょう。 最後に、これら三つの引用箇所の文章に対して、わたし(荒木)の独断 と偏見による評価点を100点満点で点数をつけることにします。一番目に引 用した文章個所は300点です。二番目に引用した文章個所は30点です。三番 目に引用した文章個所は100点です。読者の皆様にわたしの軽薄なユーモア をご理解いただけると、ありがたい。こうした悪戯心の採点について、天国 で金田一春彦さんはクシャミしながら吹き出していることでしょう。例の笑 顔で、ますます大らかにゆったりとした菩薩顔となってただただお笑いにな っていらっしゃることで御座いましょう。 ★★「モチモチの木」の授業例★★ 次に、「浸り読みで言語感覚を育てる」の授業例を書きます。 指導者は、根本由美子先生です。根本先生が、さいたま市立土合小学校 三年生を担任していた時の実践例です。 先生は、学級児童に次のように問いかけました。 「ここの文章部分は、好きだなあ、文章がいいなあ、何回も音読したく なるなあ、おもしろいことが書いてあるなあ、文の書き方が素敵だなあ・上 手だなあ、人物の様子や気持ちがよく分かるように書いてあっていい文だな あ、声に出して読みたくなるなあ、気持ちよく音読したくなる文だなあ、い い気分でたっぷりと表現よみしたくなるなあ」という個所があるでしょう。 と言って、それぞれのポイントとなる重要語句を列挙で板書します。どの文 章部分ですか。挙手をして、発表しましょう。自分で選んだ文章部分をばら ばら読みで表現よみの練習しましょう。練習の成果をみんなの前で発表して いただきます。 「おくびょう豆太」の章では。「やい木ぃ」の章では。「霜月二十日の ばん」の章では……。次々と章ごとに同じに繰り返して授業していきました。 ●「モチモチの木」好きな文とその理由● 「おくびょう豆太」の章 「おくびょう豆太」の章で一番目に多く選択した文章個所(13名) ところが、豆太は、せっちんは表にあるし、表には大きなモチモチの木が 突っ立っていて、空いっぱいのかみの毛をバサバサとふるって、両手を「わ あっ。」とあげるからって、夜中には、じさまについていってもらわないと、 一人じゃしょうべんもできないのだ。 上の文章個所を選択した理由 ・モチモチの木が豆太をおどかすところがおもしろいから ・一番気持ちをこめて音読できたり、おもしろいから ・「いっぱい」は気持ちをこめ音読しやすいから ・「わあ。」って言うところの音読がすきだから 3名 ・豆太のおくびょうな気持ちがわかりそうな気がするから ・五才なのにせっちんに一人でいけないからおもしろい ・大きなモチモチの木がつっ立っていて、のところを心をこめて音読する のがすきだから ・おどろかす様子がほんとに恐そうにおどろかしていて、おもしろいから ・豆太の性格がわかる文章だからいい ・いきなりおどかしてくる感じで、音読したくなるから ・「わあっ」って、すごい音がしていて音読したくなる 「おくびょう豆太」の章で二番目に多く選択した文章個所(11名) 全く、豆太ほどおくびょうなやつはない。もう五つにもなったんだから、 夜中に、一人でせっちんぐらいに行けたっていい。 上の文章個所を選択した理由 ・豆太がおくびょうなことがすぐわかるように書いてあるから 4名 ・音読すると気持ちがこもる文だから ・とてもなさけない気がしておもしろいから ・「全く」という音読するときの言葉の強さがいい ・さいしょだからせつ明みたいで、音読しやすいから ・もう五つにもなったのに一人でしょうべんもできないなんておもしろい から 2名 ・かたっている人がこまっている気持ちを声に出したいから ・言い方がおもしろい、だから音読したくなる 「おくびょう豆太」の章で三番目に多く選択した文章個所(8名) じさまは、ぐっすりねむっている真夜中に、豆太が、「じさまぁ」って、 どんなにちいさい声で言っても、「しょんべんか。」と、すぐ目をさまして くれる。いっしょにねている一まいしかないふとんを、ぬらされちまうより いいからなぁ。 上の文章個所を選択した理由 ・じさまのやさしい感じ、思いやりの気持ちがよく分かる文だから2名 ・豆太がじさまを起こすところがすごくいい、音読したくなる ・すぐ起きてくれる、やさしいのがいい、音読したくなる ・豆太のおくびょうさがわかる文だから ・読んでいておもしろい文だから 2名 ・しょんべんでぬれちゃうのがおもしろいから 「やい、木ぃ」の章 「やい、木ぃ」の章で一番目に多く選択した文章個所(16名) 「やい、木ぃ、モチモチの木ぃ、実ぃ落とせぇ。」 なんて、昼間は木の下に立って、かた足で足ぶみして、いばってさいそくし たりするくせに、夜になると、豆太はもうだめなんだ。木がおこって、両手 で、「お化けぇ。」って、上からおどかすんだ。夜のモチモチの木は、そっ ちをみただけで、もう、しょんべんなんか出なくなっちまう。 上の文章個所を選択した理由 ・上から「お化けぇ」が落ちてきそうな感じを声に出したいから ・豆太がびびるすがたが見えておもしろいから ・豆太がモチモチの木をどなっている、それを声に出したいから ・「いばって」さいそくしたりするから、度胸があるところ 4名 ・言葉の言い方がすごくおもしろいからすき 2名 ・元気な文章だし、音読していて楽しい所だから ・大きい声で気持ちをこめられるから ・夜はすごくこわいのに昼間は元気よく言っている豆太がおもしろい ・強く読むから音読が楽しい ・強く声を出せて、スッキリする ・「お化けぇ」の表現よみがこわくて好き ・豆太のいばっているところが好き 2名 ・木がおこっている、豆太がこわがっている、おもしろい 「やい、木ぃ」の章で二番目に多く選択した文章個所(9名) モチモチの木ってのはな、豆太がつけた名前だ。 上の文章個所を選択した理由 ・言い方がおもしろいから 2名 ・気持ちがこもっている、気持ちをこめて音読するのが楽しいから ・モチモチの木って豆太がつけたって分かったから 2名 ・言いやすい、表現よみしやすいから ・言い方がやさしい感じだから 「やい、木ぃ」の章で三番目に多く選択した文章個所(5名) 秋になると、茶色いぴかぴか光った実を、いっぱいふり落としてくれる。 その実を、じさまが、木うすでついて、石うすでひいてこなにする。こなに したやつをもちにこね上げて、ふかして食べると、ほっぺたが落っこちるほ どうまいんだ。 上の文章個所を選択した理由 ・おいしそうな感じで音読するから 2名 ・実をもちにこね上げてたべるとほっぺたがおっこちるほどうまいんだと いうから食べたくなる文章だから 2名 ・じさまがやさしい感じで、豆太をかわいがってる文だから 「霜月二十日のばん」の章 「霜月二十日のばん」の章で一番目に多く選択した文章個所(18名) 「それじゃぁ、おらは、とってもだめだ。」 豆太は、ちっちゃい声で、なきそうに言った。だって、じさまもおとう も見たんなら、自分も見たかったけど、こんな冬の真夜中に、モチモチの木 を、それも、たった一人で見に出るなんて、とんでもねぇ話だ。ぶるぶるだ。 上の文章個所を選択した理由 ・豆太が本当にだめっぽい、おもしろい ・ぶるぶる・・・おもしろい 2名 ・じさまが勇気のある子どもだけだといっていると、おらはとっても だめだとおくびょうな感じが出ている文だから ・がっかりした言い方がすきだから ・なんかがっくりしている感じの文章がいい ・豆太が「ぶるぶるだ」っていうところがおもしろい ・かわいそうでなきなき言うところ、表現よみしたい 2名 ・なんかざんねんそうに書いてあるから ・ちっちゃい声で・・・ 本当にみたかったんだろうなと思う感じが好き ・スムーズに言えるから(つっかえないで音読できるから) ・どきどきしたから ・なんか小さい声だとかわいい、それを表現よみしたい 2名 ・自分がおくびょうだと思いこんでいるから ・とんでもねぇ話だが、ぼくのすきな言葉だ 「霜月二十日のばん」の章で二番目に多く選択した文章個所(7名) 「霜月二十日のうしみつにゃぁ、モチモチの木に灯がともる。起きてて見 てみろ。そりゃぁ、きれいだ。おらも、子どものころに見たことがある。死 んだおまえのおとうも見たそうだ。山の神様のお祭りなんだそうだ。それは、 一人の子どもしか、見ることはできねぇ。それも、勇気のある子どもだけ だ。」 上の文章個所を選択した理由 ・豆太がかわいそう、同情する ・木に灯がつくのはめずらしいから ・「豆太には見ることができそうな気がする」という思いで音読したいか ら ・「行ってみたいだろ、行けるよ」という気持ちで語っている、そのよう に表現よみしたいから ・星みたいにきれいと話している言いぶりが好き ・「勇気を持たせようとしてる、元気づけている」が好き 「霜月二十日のばん」の章で三番目に多く選択した文章個所(5名) そのモチモチの木に、今夜は、灯がともるばんなんだそうだ。じさまが言 った。 上の文章個所を選択した理由 ・「ひがともる」どきどきする感じがいい ・「今夜は灯がともる」と、じさまがいうところがいい ・いつ灯がともるのか分かった文がかいてあるから ・モチモチの木に灯がともるのがわかる時だから 「豆太は見た」の章 「豆太は見た」の章で一番目に多く選択した文章個所(8名) 「ま、豆太、しんぺえすんな。じさまは、じさまは、ちょっとはらがいて えだけだ。」 まくら元で、くまみたいに体を丸めてうなっていたのは、じさまだった。 「じさまっ。」 こわくて、びっくらして、豆太はじさまにとびついた。けれども、じさま は、ころりとたたみに転げると、歯をくいしばって、ますますうなるだけだ。 上の文章個所を選択した理由 ・豆太が心配しながら「医者さまをよばなくちゃ」と思ったからえらい ・じさまがとてもかわいそうな場面だから ・本当にはらがいたい様子が分かるように詳しく書いてある文だから ・苦しんでいる様子がわかるように書いてあるから ・ほんとにいたそうなところが出ている文章だから 「豆太は見た」の章で二番目に多く選択した文章個所(7名) 「医者さまをよばなくちゃ。」 豆太は、小犬みたいに体を丸めて、表戸を体でふっとばして走り出した。 ねまきのまんま。はだしで。半道もあるふもとの村まで。 上の文章個所を選択した理由 ・豆太は勇気がある、応援したいから ・じさまを助ける、勇気があったことが分かった、いいぞ、ガンバレ ・じさまのためにガンバリが出てきた、いい場面だから ・豆太には勇気があることがわかった、いい場面だから ・小犬みたいに・・・すごい感じがして文章がいい 「豆太は見た」の章で三番目に多く選択した文章個所(6名) 豆太は、真夜中に、ひょっと目をさました。頭の上で、くまのうなり声が 聞こえたからだ。 「じさまぁっ。」 むちゅうでじさまにしがみつこうとしたが、じさまはいない。 上の文章個所を選択した理由 ・豆太がかわいそう、と思った。応援したくなる文だから ・じさまがいない、どうしたんだろうと、心配に思ったからところ ・こわくて、びっくらしてる言い方がすき ・豆太がかわいい場面だから ・ドキドキした、びっくらした感じの場面で表現よみしたい ・豆太が弱虫らしい感じが出ている文章だから 「豆太は見た」の章で三番目に多く選択した文章個所(6名) とちゅうで、月が出てるのに、雪がふり始めた。この冬はじめての雪だ。 豆太はそいつをねんねこの中から見た。 そして医者様のこしを、足でどんどんけとばした。じさまがなんだか死ん じまいそうな気がしたからな。 上の文章個所を選択した理由 ・月が出ているのに雪がふるのはめずらしい、 ・ふしぎな感じがするから ・不思ぎを伝えてるのがおもしろい ・すごくきれいでめずらしい夜、文章がいい、好き ・月が出ている様子がよくわかるように書いている 「豆太は見た」の章で三番目に多く選択した文章個所(6名) 「モチモチの木に、灯がついている。」 上の文章個所を選択した理由 ・ふしぎそうに言う、表現よみしたいから ・灯がついて、豆太はふしぎがっている気持ちが出ている ・豆太が「ぼく、見ることができた」って喜んでいる感じがすき ・ふしぎそうで、わたしも見てみたいから ・こわいものにはんのうしたところ、勇気が出て、よかったから ・きれいだと思う。きれいな灯を私も見たいから。 ・おどろいた感じで表現よみしたいから 「弱虫でも、やさしけりゃ」の章 「弱虫でも、やさしけりゃ」の章で一番目に多く選択した文章個所(13名) 「おまえは、山の神様の祭りを見たんだ。モチモチの木には、灯がついた んだ。おまえは、一人で、夜道を医者さまをよびに行けるほど、勇気のある 子どもだったんだからな。自分で自分を弱虫だなんて思うな。人間、やさし ささえあれば、やらなきゃならねえことは、きっとやるんだ。それを見て、 他人がびっくらするわけよ。は、は、は。」 上の文章個所を選択した理由 ・よかった、ほっとしたから ・きっとやりとげることの大切さが書いてあるから ・自分を自分で弱虫だなんて思うなという言葉に勇気づけられた ・うれしそうな感じ、喜んでいる感じで音読したい ・「おお、すごい」と思ったから ・勇気があることが分かって、うれしいから ・わらっているのがおもしろくてすき ・ほめ言葉があたたかい、好き ・じさまがとてもやさしい ・豆太が医者さまをよびに行ったことをじさまは知っていてほめている ・わらう感じがおもしろい、表現よみしたい ・豆太は弱虫でもいい、やさしさがあるから好き 「弱虫でも、やさしけりゃ」の章で二番目に多く選択した文章個所(12名) それでも、豆太は、じさまが元気になると、そのばんから、「じさま ぁ。」と、しょんべんに起こしたとさ。 上の文章個所を選択した理由 ・けっきょく、最後にはいつものようにじさまをよび起こしてしまったと ころがおもしろい ・前にもどっちゃっておもしろい、またもとにもどってしまった ・最後の起こしたところ、元に戻ったところがおもしろい ・ゆかいそうな感じで表現よみしたいから ・わたしはなさけないなぁと思う。なさけないように表現よみしたい ・一人で行けたのに、トイレに行きなよーと言いたいから選んだ ・じさまと豆太がなかよし、もとにもどったとこがおもしろい ・豆太はまたおくびょうにもどった、もうおくびょうになった、あまえて いる、まだ子どもだから ・最後がどうなったかをはっきり書いている。元にもどって半分がっ かりした ★★「浸り読み」の音読風景★★ 本稿では、次の文章個所の「浸り読み」している時の児童たちの活動の 様子について書きます。 「やい、木ぃ、モチモチの木ぃ、実ぃ落とせぇ。」 なんて、昼間は木の下に立って、かた足で足ぶみして、いばってさいそくし たりするくせに、夜になると、豆太はもうだめなんだ。木がおこって、両手 で、「お化けぇ。」って、上からおどかすんだ。夜のモチモチの木は、そっ ちをみただけで、もう、しょんべんなんか出なくなっちまう。 この文章個所では、「浸り読み」のばらばら練習や、全員の前での発表 において次のような活動の様子が見られました。 ・「やい木ぃ、モチモチの木ぃ、実ぃ落とせぇ!」個所では、モチモチの木 を見上げる動作をしながら、いばって、命令して読んでいた。 ・片足で、じたんだを踏んで、催促しつつ読んでいた。 ・「お化けぇ………」個所では、児童がモチモチの木の変身したつもりにな って、下を見下ろして、恐そうな顔で読んでいた。 ・両手を上にあげ、驚かしているように「お化けぇ………」を読んでいた。 ・「もうだめなんだ」を「もーー」と伸ばして、強く、ほんとにダメな感じ で読んでいた。 ・「もうしょんべんなんか出なくなっちまう」を、楽しそうに、ここだけを 何回も繰り返して、笑顔で、声に出すのがおもしろいという表情で読ん でいた。 ・「モチモチの木」にある文章の一部を日常の学校生活の遊びの中で「その まま」または「言い換え」の遊びにして使用して楽しんでいた。 例「やいAちゃん、消しゴム貸してくれぇー」 例「やいB君、外であそぼうぜぇー」 例「ぼくは落ち着きがなくて、もうだめなんだあー」 例「C君ほどおくびょうなやつはない」 例「D君ほど力持ちで、やさしい男はない」 例 友達の背後から突然に「おばけぇ……」と言って驚ろかして遊んでた ・好きなフレーズ、おもしろい文句の一部文章個所だけを取り出し繰り返し 音声表現して楽しんでいた。 ・全体に、一字一字をていねいに拾って読んでいるというよりは、思いや気 持ちをこめることを楽しみにして読んでいた。 ★★荒木のコメント★★ 全文章から一か所選択 根本由美子先生(さいたま市立土合小教諭)は、それぞれ一章ごとに立 ち止り、一つの章の中で子どもに「この章ではどこを自分は選びますか」と 問いかけ、挙手で人数を調べ、その結果を報告してくれています。荒木から 根本先生への依頼もそうしたお願いだったので、そのとおりに報告してくれ ました。 子どもの言語感覚を育てる方法には、もう一つがありましょう。全文章 (「モチモチの木」では冒頭「おくびょう豆太」から最後「弱虫でも、やさ しけりゃ」まで)の中で (1)いちばん好きな文章個所を三か所だけ選びなさい。 (2)その三か所の中からいちばん好きな文章個所を一か所だけ選びなさい。 という問いかけの指導です。一読総合法の指導過程では最後の立ち止りの授 業ということになります。 上記の問いかけで簡単に「いちばん好きな文章個所」と書いていますが、 その内実は「好き」だけでなく、「表現がいいなあ、内容がおもしろいなあ、 いいことが書いてあるなあ、いい場面だなあ、言い回しが素敵だなあ、声に 出して読みたくなるなあ、いい文章表現だなあと夢見心地で、いい気分で読 みたくなるなあ」」といった中身を含んでおり、そうした問いかけであるこ とは言うまでもありません。 全文章の中から三か所を選ぶとなると、子ども達は教科書のページをあ っちこっちとめくり出して探すことでしょう。あっちこっちとめくりつつ探 す行為が子どものアタマには濃密な言語感覚を使って選ぶ思考操作が働いて いることになります。このようにして児童の言語感覚を働かせ、育てる機会 を与えるわけです。 さらに教師が「三か所から一か所だけ、一番だけを選択しましょう」と 問いかけます。ここでもまたいっそうの言語感覚の濃密な思考操作が働くこ とが要求されることになり、これがまた子どもの言語感覚を働かせ、育てる 指導の機会与えとなるわけです。 そして、一か所(または三か所)の文章個所を、選択した理由を思い浮 かべながら、いいなあと浸り漂いながら夢見心地で「浸り読み」の音声表現 をさせるようにします。 この方法は、小学校高学年や中・高校の教科書では長文になり全ての文 章個所をていねいに選択指導をする時間がありません。全文章から三か所を 選ぶ、さらに一か所を選ぶ指導方法は、指導時間の節約にもなります。もち ろん、三か所を選択しないで、ストレートに一か所だけを選択する、という 方法もあります。 児童生徒から「選択個所がありません」という反応があるかもしれませ ん。そこは「むりに選択すると」とか「あえて選択するとすれば」という条 件をつけて指導してみましょう。教科書に採用されている物語・詩歌・論説 文の文章ですから、それは可能だと言えましょう。 表現内容と表現形式 上記の「モチモチの木」の児童反応は、小学三年生の例ですが、同作品 を小学六年生、中学三年生、高校三年生に与えて調査したら、それぞれ違っ た結果になると予想されます。言語感覚による反応も違ってくることでしょう。 3年生児童が選択した理由を調べると、大別して「表現内容」に関する もの、「表現形式」に関するもの、「音声表現」に関するもの、「全体印 象」に関するものの四種類があるようです。 「表現内容」に関するもの ・モチモチの木が豆太をおどかすところがおもしろい ・しょんべんでぬれちゃうのがおもしろいから ・豆太がびびるすがたが見えておもしろいから ・一人で行けたのに、トイレに行きなよーと言いたいから選んだ ・豆太が「ぶるぶるだ」っていうところがおもしろい ・月が出てるのに雪がふるのはめずらしいから 「表現形式」の関するもの ・豆太がおくびょうなことがすぐわかるように書いてあるから ・おどかす様子がほんとに恐そうにおどろかしていて、おもしろいから ・豆太の言い方がおもしろいから ・月が出ている様子がよく分かるように書いてあるから ・すごくきれいでめずらしい夜、文章がいい、好き 「音声表現」に関するもの ・「いっぱい」は気持ちをこめて音読しやすうから ・「わあっ」て、すごい音がしていて音読したくなる ・ドキドキした、びっくらした感じの場面で表現よみしたいから ・上から「お化けぇ」って落ちてきそうな感じを声に出したいから 「全体印象」に関するもの ・豆太の性格がわかる文章だから ・じさまがやさしい感じ、思いやりの気持ちがよく分かる文だから ・豆太が本当にだめっぽい、おもしろい ・本当にはらがいたい様子がわかる文だから ・じさまも、おとうも、かっこいいから ・こわくて、びっくらしている言い方(表現)が好き 「表現内容」に関するものとは、出来事や事件や事柄に反応した選択理由 です。「モチモチの木が豆太をおどかす出来事(事柄)が書いてあり、そこ がおもしろいから選んだ」というような例です。 「表現形式」とは、文章表現が上手、書きぶりが素敵、というような選 択理由です。「豆太がおくびょうなことがすぐわかるように書いてあるか ら」という児童の発表内容は「豆太のおくびょうさが簡単明瞭に正鵠を得た 文章表現になっているから選んだ」という小学三年生なりのコトバ表現でし ょう。 「音声表現」に関するものとは、ずばり音声表現そのものに関する選択理 由です。「わあって、すごい音がしていて音読したくなるから」の児童発表 は、「わあっ」をすごい音にして音声表現したくなるから選んだ」または 「音読すると「わあっ」に気持ちがこもるから、この文章部分を選んだ」と いう小学三年生なりのコトバ表現でしょう。 「全体印象」に関するものとは、上の三つが総合されている発表内容の ことです。「表現内容」と「表現形式」と「音声表現」の三つは、どれかに 傾斜し重点が置かれている発表内容ですが、「全体印象」は、それら三つの どれにも重点が置かれてない、どれにも当てはまってしまうyうな内容の選 択理由です。 「浸り読み」と「表現よみ」との関係 「浸り読み」と「表現よみ」とはどこがどう違うのでしょうか。結論から 言えば同じです。 「表現よみ」とは、「へんな読み癖」や「へんな調子つけ読み」や「俗に いう朗読の節つけ読み」などでなく、文章内容の表現価(表現されている事 柄だけ)を「素直に」(ここが重要)声に出して表現することです。 「浸り読み」も「表現よみ」同じ音声表現のしかたですが、この二つを、 あえて誤解を恐れずに区別しようすれば、重点の置き方が違うと言えるかも しれません。 「表現よみ」はどちらかというと「文章内容が豊かに浮き立つように音 声にのせようと集中して音声表現する」ことに重点があり、「浸り読み」は、 文章内容がこうだからこう音声表現しようという意識、つまり文章内容が豊 かに浮き立つように音声にのせようと集中して音声表現する意識は下層に沈 んでおり、上層には文章内容(場面、事柄)がいいなあと味わい楽しむ、文 章表現が素晴らしいなあと味わい楽しむ、ただ情調だけがいよいよ鮮明に流 れ、よい気分で音声表現する、ということに重点が傾斜している音声表現の しかただと言えましょう。文章の情調に浸り漂うことが前景化しているだけ の音声表現のことです。 本稿では後者を「浸り読み」と名付けていますが、これは仮の名付けに しかすぎません。「浸り読み」でも「漂い読み」でも、どちらでもよいでし ょう。ほんとは「浸り読み」も「漂い読み」も、「表現よみ」に含まれるの で、「表現よみ」を、「表現よみA」と「表現よみB」とに分けて、「浸り 読み」または「漂い読み」を「表現よみB」と名付けてもよいでしょう。 前記した「表現内容」と「表現形式」と「音声表現」とは、相乗的な関 係にあります。「表現内容」がよくても「表現形式」がまずくてめちゃめち ゃな文章なら「音声表現」する意欲はわかないでしょう。逆に「表現形式」 がよくても「表現内容」が平凡で陳腐でありふれた事柄だったら「音声表 現」しようとする意欲はわかないでしょう。「表現内容」と「表現形式」が そろって豊饒かつ簡明かつ素敵に表現されていることが「音声表現」がした くなる意欲喚起を呼び起こす必須条件です。上記の小学三年生が語っている コトバ表現には「表現内容」に重点がおかれた発言内容であっても、そのウ ラに「表現形式」のよさも言外に含まれている言表も多くあると思われます。 また「表現形式」に重点おかれた発表内容であっても、そのウラに「表現内 容」のよさの指摘が含まれている発表内容も多くあると思われます。 言語感覚育て 言語感覚育てとは、コトバ表現の正誤、適否、ニュアンスの違い、美醜 へのセンスを磨く指導です。くだけた言い方をすれば、このコトバ表現の正 誤、適否、ニュアンスの違いがミョーに気になって調べ直してみる能力、ミ ョーに気が利いた文章(文句、言い回し)にすごい・いいなあと思う能力、 ミョーに気になった文章(文句、言い回し)に改めて考え直して分析を加え てみる能力、ミョーに忘れられない文章(文句、言い回し)を思い出してそ れを他人に伝えたり日常生活に使ってみたりする能力、ミョーに素敵な文章 (文句、言い回し)に感動し、ほれぼれした思いを抱いたり、それら文章個 所を繰り返し浸り読みして身体化したりする能力などです。 こうして文章に鋭敏に反応する感性を育てます。「表現内容」がいいな あ、「表現形式」がいいなあ、素敵だなあと体感しつつ声に響かせて日本語 の美的な音声表現を味わい楽しむ能力を育てましょう。音声に出して表現す ることで、言葉の連なりの美しさ・心地よさにうっとりし、日本語の響き合 いのよさ、ことば調子とリズム調子のよさを味わい楽しむようにしましょう。 「浸り読み」を繰り返して楽しむことで、身体に語いや文体が沈殿し、日常 生活に生きて使える能力が育ちます。こうして日本語の美醜感覚を見分ける 能力が身につけていきます。 |
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